高級会員制倶楽部 平家物語

我が領地によくぞ来た。領主の徳盛である。親族には大盛、盛盛、メガ盛もいる。なお、我が国は鎖国しているので、相互リンクなどはお断りじゃ。

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ヤバイ

今は亡き水戸黄門のように全国を漫遊する予じゃが、時々、これはヤバイと思われる物を目にする。
それらを見せてやろう。

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カタギ?
わざわざ自分で「かたぎ」だと名乗っているが、本当にカタギ?


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マルヒ食品?
マル秘な食品、どんな食べ物なのかのう。


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しゃぶしゃぶセットはまあ、普通じゃが、問題はその下じゃ。
しゃぶカリーにしゃぶそば?
もしかして、シャブ?
食べたら病みつき?


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当たり前じゃな。
ということで、ここまでじゃ。
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  1. 2012/05/29(火) 00:08:34|
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山山

群馬県とは山が多い所じゃのう。というよりも、山に囲まれているということか。

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浅間山じゃ。
雪を被った姿は優美であるが、噴煙が上がっていることからもわかるように活火山。
江戸時代、天明年間に噴火した時には噴煙が空を覆い、そのために凶作となり、天明の大飢饉を引き起こした。

浅間山といえば、思い出すのは「あさま山荘事件」
「突入せよ、あさま山荘事件」として映画化された時、前売り券を買ったが、オマケに付いてきたのは鉄球ストラップ。重かった。
事件の現場には、鉄球のモニュメントがあるらしいが、雪のせいもあり、場所がわからず。
いつか、あさま山荘に行ってみたいものじゃ。

この事件、テレビで中継。
なんと視聴率は80%超。
これで、思わぬ恩恵を受けた商品があった。
山荘を包囲した機動隊員達が食べていたのが、カップヌードル。
この中継で一気にメジャー商品に。
広告料を払わずに、すごい宣伝になったものじゃ。

また、事件を起こした連合赤軍は同じく群馬県の榛名山にアジトを持っておった。
そこで起こったのが、凄惨なリンチ殺人。
山ってこわーい。


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なだらかな裾野が広がる赤城山。
「赤城の山も今宵限り」というセリフで知られるのが国定忠治。

ところで、国定忠治って、何をした人?
ヤクザらしいとはわかるのじゃが、貧民救済をしたという話もあるようだが、芝居の中だけのようでもあり、どうもよくわからぬ。

ということで、群馬県逍遥も今宵限りといたそう。
  1. 2012/05/25(金) 20:51:03|
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私の村はダムの底なの。

吉田戦車の「伝染んです」という漫画に、タイトルのセリフから始まる四コマがあった。
女にそう言われて、潜水服を渡されて、ダムの底に潜ると、住民達は潜水服を着て、いつも通りに生活。
「おかえり」
「ただいま」
と挨拶で、びっくり。というものがあった。


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ここは「やんば館」
八っ場ダム建設予定地にある、ダムに関する広報と展示を行っている施設。
群馬県吾妻郡にある。
ダムが完成すると、ここはダムの底じゃ。

吾妻という地名じゃが、日本武尊がこの辺りで、亡き妻、オトタチバナヒメを思い、
「我が妻よ、吾が妻よ」と嘆いたことから付いた地名という。
周辺は「耶馬溪しのぐ吾妻渓谷」と言われる紅葉の名所。
大分県の耶馬溪以上に美しい自然美の場所と言われているのじゃが、ここもやがてはダムの底。

また、川原湯という温泉があるのじゃが、ここもいずれはダムの底。
温かい出湯も、冷たい水の底ということじゃ。

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ダム建設のため、高台に迂回路や構造物もほぼ出来上がった状態。
それなのに、この八ッ場ダム建設中止を公約に掲げて、政権を盗み取った者どもがおるのう。
結局は止めるのやめーたということで、工事は再開。
一体、どうなっているのか?

このダムだけではない。
沖縄の普天間基地は県外に移設。
消費税増税は議論すらしない。
高速道路は無料化。
あの連中が掲げた公約、全部、破られておるのう。
入れ札で、あの連中を選んだ衆愚どもはいい面の皮じゃのう。

マニフェストは国民との約束だから、命懸けで守らねばならない筈ではなかったか?
それにしては、誰も腹を切らぬのは不思議な話じゃ。
武士には二言はないが、政治屋には二言、三言は当たり前ということかのう。


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ほぼこうした構造物の工事も出来てしまい、住民の合意も成っているのに今更、中止というのは時期が遅かったの。
合意した住民達は既に補償金で高台に新たな家を建てて、移転しておる。
そうした家は、八ッ場御殿とも言われておるとか?

ということで、かっての住民達も、いずれダムが出来ても冒頭の「伝染するんです」のようなことにはならないということじゃ。
  1. 2012/05/21(月) 17:03:39|
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宿場

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アスファルトとか車がなかったら、江戸時代の宿場の雰囲気が感じられるのじゃが。
此処は群馬県みなかみ町、須川宿。
三国街道の宿場であった。
中仙道から高崎で分かれて、越後に向かう街道。
終点は佐渡島ということになるのかのう。

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水車などもあり、のどかな所じゃ。
周辺は「たくみの里」として、手作りの民芸品を販売、あるいは自分で作ることも出来る店となっておる。

越後からの大名行列もこの宿場を利用。
それ以前から多くの有名人もここに足跡を残しておる。
坂上田村麻呂、上杉謙信等々。
また、近代に入ってからは与謝野晶子や若山牧水などの文人もこの街道を歩いたとか。

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須川宿資料館じゃが、脇本陣の跡に建てられており、宿場の資料を見学出来る。
大名が宿泊した本陣の間も復元。
本陣自体はもうない。
因みに、この門はかっては本陣の門を復元したもの。
予は殿様じゃから、くぐっても問題ないが、江戸時代には庶民はこんな門は畏れ多くて、通れなかったことじゃろう。
  1. 2012/05/18(金) 10:11:38|
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引き金の城

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群馬県みなかみ町、名胡桃城跡じゃ。
題字は徳富蘇峰筆という。

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今は建物などは何もない城跡じゃが、地形がよく保存されていて、戦国時代の山城を偲ぶことが出来る。
沼田氏が築城したと伝えられるが、戦国時代にはここは北条、上杉、武田といった大名達が取り合いをした城であった。

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豊臣秀吉が関白となり、天下統一を進めていた頃、この城を領有していたのは真田氏。
歴女の衆が大喜びの真田じゃ。
表裏比興の者と呼ばれた真田家、武田についたり、上杉についたりしながら、巧みに戦国時代を生き抜いた。
卑怯ではないぞ。殿様という者は自分だけではなく、一族郎党や領民の命や財産を預かっておる。
生き残るためには、勝ち馬を見定めることが肝要。
負ける方についたら、多くの者達を危険にさらすことになる。
殿様とは大変な職業じゃ。
おっと、予も殿様じゃった。

真田は秀吉という勝ち馬を逸早く見抜いて、その幕下に入った。
その秀吉、関白の名で「惣無事令」を全国の大名に発した。
大名間の戦を関白の名において禁じた命令。これにより戦国時代を終わらせようとしたのじゃが、これに逆らったのが関東の雄、北条家。

この名胡桃城に攻めかかった。
これが「惣無事令」に反した行為と看做されて、秀吉は関東征伐の号令。
二十万という大軍で北条家の本拠、小田原城を囲んだ。
やがて北条家が秀吉に屈服すると、秀吉に対抗出来る大きな勢力はなくなり、天下統一が成っていき、秀吉による平和がなったということになる。
パックスヒデヨシーナじゃな。

関東征伐という大きな戦の引き金となった名胡桃城じゃが、北条家が秀吉に降伏した後には廃城となり、今は跡が残るだけじゃ。

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堀切りの跡なども確認出来るが、今は見ての通りの草むらで、予が登城した時には、やぶ蚊が多かった。
  1. 2012/05/15(火) 09:23:19|
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恋人よ

一時、ちょっとした話題になった菓子じゃ。

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中味はゴーフレット。

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こうなってくると、類似品として訴えた菓子も食べたくなるというもの。そこで入手。

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似ているかなあ?



しかし、驚いたことに恋人はこれだけではなかった。

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どちらも中味はラングドシャクッキー、これらの方が「白い恋人」っぽいかも?


また、福岡には「赤い恋人」なる商品が存在。
中味は明太子味のこんにゃくだそうだ。
あまり美味そうな気がしない故、予の触手が動かなかったので入手しておらぬ。
興味があれば、福岡まで行くがよい。

それでは、今日はここまでじゃ。
  1. 2012/05/13(日) 13:37:36|
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宇治川の東詰めにある建物じゃが、江戸時代である寛文十二年(1672)に建てられたものという。
通園という御茶屋だが、店の歴史は建物よりも遥かに古い。
なんと創業は永暦元年(1160)というから、平安時代じゃ。

初代である古川右内は源頼政に使えた武士じゃったが、隠居後、大敬庵通園政久と名乗り、庵を結んだという。
それが始まりとされるが、頼政が平等院で平家と戦った時には、その初代通園も駆け付けて、主従共に討ち死にしたという。
二人とも今は平等院内に墓所がある。

その後、子孫は代々、通園という姓を名乗り、宇治橋の橋守りを仰せ付かってきたという。
一休や豊臣秀吉、徳川家康などもこの茶屋に立ち寄ったとか。

そればかりか、この通園茶屋、文学作品にも登場。
戦前から続くロングアンドベストセラーとも言うべき、吉川英治の「宮本武蔵」に登場。
この通園で、武蔵の恋人であるお通さんが、武蔵の弟子である城太郎と共に茶を飲む場面がある。
宮本武蔵は読んだのじゃが、実はそんな場面があったのか、記憶が定かではない。
何度も映画化やドラマ化、漫画化などもされて、戦前から売れ続けている小説で、延々と宣伝され続けているのじゃな。

武蔵やお通さんの名前を冠したオリジナルなお茶も販売しておる。
予も一服。
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抹茶と茶団子を頂いた。
  1. 2012/05/11(金) 14:44:00|
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二度の戦場

宇治の平等院鳳凰堂。

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関白、藤原頼通の開創になる阿弥陀堂。
内部には仏師、定朝作の阿弥陀如来像が安置され、壁には雲中供養菩薩像。そして極楽往生の様子を描いた障壁画がある。
十円玉の裏側の意匠としても有名じゃのう。

平安時代末期、この宇治は二度も源平争乱期の戦場となった。
最初の戦の主役は源頼政。
以仁王と結んで、平家に叛旗を翻し、この宇治にて戦。治承四年(1180)五月二十六日のことじゃ。

頼政という人物、歌人としても名を成していたが、近衛天皇の御世、御所に現れた妖怪、鵺を退治したという伝説もある武人。
源氏の中で初めて三位という地位に昇ったことから、源三位頼政とも呼ばれた。

親王宣下も受けられずに不遇をかこっていた以仁王の令旨を諸国の源氏に送って、一斉蜂起を狙っていたものの、事前に計画が漏れて、準備不足のままで平家の討伐軍と戦わねばならなくなった。
結局は平知盛率いる軍に敗れて、この平等院にて自害。


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頼政が自害した場所は扇の芝と呼ばれておる。
この時、頼政は御年76才。
爺ちゃんも若くない血が騒いだのかのう。

二度目の戦は平等院の前を流れる宇治川にて、寿永三年(1184)の一月。

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都から平家を追い払った木曽義仲じゃが、源氏同士の内輪もめというべきか、源頼朝の弟、義経とこの宇治川にて戦。
源平合戦ではなく、源源合戦じゃの。
今でも水量が豊富な宇治川じゃが、戦の時も雪解け水が流れ込んで、かなり流れも急だったとか。
ここを舞台とした戦の場面、平家物語でも「宇治川の先陣争い」として有名じゃ。

佐々木四郎高綱と梶原源太景季とが騎馬にて渡河し、川向こうの木曽陣への先陣を争ったというエピソード。
敵陣への一番乗りは大きな手柄となったので、二人ともに譲らずに、こうした競争となったのじゃ。

さて、この川沿いには頼政にもちょっとした縁がある店があるのじゃが、、、おっと、その話はまたの機会じゃ。
  1. 2012/05/08(火) 22:27:21|
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流転

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この石段を登った所にあるのが、建礼門院の御陵。
昔は寂光院の境内地だったそうだが、現在は宮内庁の管理となっておる。
明治になって、神仏分離令が出されると、皇族の墓などは仏教ではなく神道により祭祀されることとなったからじゃ。

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建礼門院とは出家後の法号であり、俗世にあった頃の名前は徳子。
平清盛の娘じゃ。
高倉天皇の后となり、生まれた皇子は安徳天皇として即位。
これにより、平清盛は天皇の外祖父となり、太政大臣として権力を掌握。
徳子も国母として敬われる身分に。

しかし、彼女は随分と変転の多い人生を送ることとなる。
平家物語、大原御行でも、自身で生きながら六道輪廻をしたようなものと語っておる。
天上界かとも思われる宮廷での生活。
しかし、源氏が勃興すると平家は都から追われ、徳子も武士同士の争いという修羅の巷に巻き込まれることに。
血腥い戦の中、身内や名もなき兵の死という地獄のような光景も目にしたことじゃろう。

西へと追い詰められた平家一門は壇ノ浦にて滅亡。
徳子の母、二位の尼は徳子の子である安徳帝を抱いて入水。
徳子自身も海に飛び込んだものの、幸か不幸か源氏に助け出された。
その時に、敵将である源義経との間に何かあったのではないかという下世話な噂もあったとか。

その後、都の長楽寺にて出家。
寂光院にて、一門の菩提を弔う暮らしを送ったという。

さて、彼女は死後は極楽浄土へ旅立ったのか、既に生きている間に六道輪廻をしたということで、輪廻を止めて解脱したかのう。
  1. 2012/05/07(月) 17:03:38|
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嗚呼、地蔵様

大原、寂光院。

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我が領国と同じ名の文学作品「平家物語」の重要な舞台ともなっている。
平家滅亡後、ここに住んだ建礼門院と阿波内侍の許に後白河法皇が訪ねて来て、昔話をしたという。
大原御行という話じゃ。

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この本堂だが、残念ながら、源平興亡の頃からある物ではない。
平成十二年に放火により全焼。
五年後に再建されたものである。
許せぬ奴がいるものじゃ。
そのような者は市中引き回しの上、打ち首、獄門に処す。
と言いたいところじゃが、残念ながら大原は予の領地ではないので、予の命は行き届かぬ。

この時に本尊である地蔵菩薩像も焼けたのだが、本堂が焼け崩れた中、地蔵像は焼損しながらも倒れることなく立っていたという。
何やら想像すると、神々しくも思える話じゃ。
焼損のために現在は保管庫に入れられていて、今の本堂には新たに作られた地蔵菩薩像が安置されておる。

この寂光院は聖徳太子の創建と伝えられていて、平家滅亡後に隠棲した建礼門院とは平清盛の娘。
建礼門院に仕えた阿波内侍というのは清盛の盟友、信西の娘。
わかりやすく、今年の大河ドラマ「平清盛」の登場人物に例えると、
マツケンの娘と阿部サダヲの娘の所に、松田翔太が訪ねてきたというのが、大原御行という場面。
しかし、低視聴率という「平清盛」をどれだけの者が視聴しておるかのう。

また、大原女とは、阿波内侍の格好を土地の娘が真似し始めたのが始まりとされておる。
おっと、ようやく前回と話が繋がったわい。

さて、建礼門院という女だが、、、、おっと、その話はまた別の機会じゃ。
  1. 2012/05/05(土) 21:26:32|
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  3. | コメント:4

大原の女

京都、大原、三千院。恋に疲れた女が一人。
という歌に誘われて、京都の大原にやって来た。
京都には何度も来ている予だが、大原は初じゃ。
ここが歌われている三千院。↓
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ここに行く道すがら、歌碑を発見。↓
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更にこうした物まで発見。↓
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大原女だ。
古来、この大原の女は頭に炭とか薪を乗せて、京都の町中まで売りに行っていたという。
大原という所は現代でも京都駅からバスで1時間かかるという山里。
昔は町中まで来るのも一苦労だったことじゃろう。


更に、こんな物まで発見。
おっと、この先は18歳未満はお断りじゃ。子供はもう寝る時間じゃ。
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なんとトップレスの大原女。
働き者の上にセクシー。側室に加えたくなるぞ。

そもそも、大原女というのは阿波内侍が元祖と言われていて、、、、
おっと、その話はまたいつか。


なお、予は殿様なので、コメントに返信などはしない。
答礼訪問などということもせぬ。それでも言いたいことがあれば、コメントを寄越すがよい。
  1. 2012/05/03(木) 22:16:07|
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