高級会員制倶楽部 平家物語

我が領地によくぞ来た。領主の徳盛である。親族には大盛、盛盛、メガ盛もいる。なお、我が国は鎖国しているので、相互リンクなどはお断りじゃ。

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女神たち

宗像といえば、やはり宗像大社じゃ。
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此処は元々、海上交通の神を祭っていたのじゃが、交通安全の神という風に拡大解釈されたようで、自動車の安全祈願に訪れる者も多い。
写真は辺津宮で、市杵島姫神を祀っておる。

大島にある中津宮には湍津姫神。

更に遠く離れた沖ノ島の沖津宮には田心姫神を祀っておる。

これら三柱の神々を総称して宗像大神と呼ばれる。
姫という字がついていることからわかるかもしれぬが、女神じゃ。
因みに沖津宮は今でも女人禁制。女神なので男しか受け入れてくれぬのかのう。

辺津宮の奥へと歩いてみた。
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辿り着いたのは高宮。
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〈ひもろぎ〉とか〈いわさか〉という古代からの祭祀形態を残している斎場。
漢字を変換するのは難しいので諦めた。
宗像大神が降り立った地と言われておる。
  1. 2012/07/25(水) 22:07:12|
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無敵

ちょっと珍しい神社を見た。

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福岡県宗像市東郷にある摩利支神社。
どういう風に珍しいかというと、此処に祀られている摩利支天とは仏教の天部。
明治以来の日本は神仏分離を原則としておる。それなのに、此処では仏教の神が神社に祀られている。

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もっとも明治以前、江戸時代までは神仏混淆が常識であり、神社に寺があったり、寺と神社が一体化していた場所も多かった。この神社はそうした神仏混淆の形を残している稀有な例かもしれぬ。
ご祭神は正確には摩利支明神こと天之御柱大神。
神であり仏でもあるということ。
多神教の国である日本らしいのう。

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以前、洪水で流されたということもあり、此処の社殿は昭和53年に新築されたものじゃ。

さて摩利支天とは元々はインドの女神であり、陽炎を神格化したと言われておる。
日本では多くの武士達に崇拝された。
陽炎というのは実体がないので、打つことも斬ることも出来ぬ。そうした決して傷つかぬ無敵さを武士達は摩利支天に祈願したのじゃ。

摩利支天を崇拝した武士として思い出すのは山本勘助。
武田信玄の軍師として活躍した者じゃが、勘助は隻眼で片脚が不自由だったというから、摩利支天のような傷つかぬ無敵さは得られなかったということになるのう。
おまけに討ち死にまでしておる。
  1. 2012/07/13(金) 15:28:22|
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今と昔の植物

北九州市戸畑区の夜宮公園じゃ。
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菖蒲の名所として知られる。

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バスツアーなども来ることがあるが、ここには大きな駐車場がないので、車窓観光だけになることもあるとか。

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さて、此処の近くに小学校がある。その道路脇にはこういう物。
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何だかわからぬか?それでは、これでどうじゃ。
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これは珪化木。つまりは太古の植物の化石。
夜宮の大珪化木と呼ばれておる。昭和15年に発見され、昭和32年に天然記念物に指定。
最大幅が2・2メートル。長さが推定40メートル。地上に顔を出しているのはほんの一部である12.85メートル。
トウダイクサ科の広葉樹、ニセホバシライシだとか。
人間が登場する以前には、40メートル級の木々が生い茂る森が広がっていたのじゃな。

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因みに断面はこんな風らしい。
  1. 2012/07/09(月) 15:10:05|
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またも塚

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北九州市門司区の甲宗八幡神社。
ご祭神は神功皇后であり、御神体は神功皇后の兜。
50年に一度だけ、その兜は公開される。
予は殿様じゃから、拝観したことがあるが、古びた鉄の鉢のようじゃった。
戦国時代の文書なども保存されている由緒ある神社じゃ。

すぐ近くが関門海峡、つまりは平家一門が滅んだ壇ノ浦ということもあり、この神社にもそれにまつわるものがある。


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この矢印の先には柵があり、その先にあるのが、看板に書いてある平知盛の墓じゃ。
知盛は清盛の四男であり、名前の通りに知に長けた武将で源氏の義経と張り合った。
実質的に平家を引っ張っていた人物とも言える。
その最後も天晴れなもので、壇ノ浦の海戦で味方の敗色が決定的になると、碇を体に括りつけて海に飛び込んだ。
決して浮かび上がって来ないようにという自害じゃった。
確実に死ぬためでもあるが、自分の首を取られてさらし首になることを恐れてもいたのではなかろうか。

此処にある墓は昭和28年の水害の時に、近くの山から流されてきたそうな。
ということで、掘り返したとしても何もない、墓というよりも供養塔じゃ。
あっ、知盛の死骸は海の底だから遺骨がある筈もないか。

有名人には墓が多いものじゃが、遺骨がない知盛も実は此処以外にも供養墓がある。
それは何処かというと、おっと、それはまた別の機会じゃ。
  1. 2012/07/06(金) 21:22:29|
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塚塚

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平清盛像じゃ。
昭和43年に彫刻家、柳原義達により建てられた。

この銅像の隣にある石造の十三重塔。
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清盛塚と呼ばれておる。
鎌倉幕府の執権、北条貞時の建立という。
平家を滅ぼした鎌倉幕府が清盛の墓を建てたというのは奇異に感じるかもしれぬが、実は北条家は平氏。
そればかりではなく、源氏である源頼朝を担いだ坂東武士の多くは平氏の末裔。
同じ平氏である清盛の墓を建てたのも理解出来る。

この塔、元々は現在地ではない所にあったのじゃが、大正12年に市電道路の拡張工事のために移転してきた。
その際の発掘では塔の下からは遺骨も遺品も出なかった。やはりこれも清盛の墓所ではなく、供養塔だったことがはっきりしたのじゃ。

トップページを見ればわかるように、予の正式名称は「平徳盛」愛称は「たいらー」じゃ。
同じ「平」である偉大な先達、清盛の墓所がわからないというのは寂しい気もするのう。

清盛塚の隣には別の塚。
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琵琶塚と呼ばれているが、清盛の弟経盛の長男、経正の墓と言われておる。
経正は琵琶の名手だったとか。

因みに、此処の近くの橋で、こんな物を見た。
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石柱にへばりついたカタツムリ、雨で濡れているので、何となく本物っぽくも見えるのう。
  1. 2012/07/03(火) 20:38:57|
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